TwinTowerTours (m)

ももた支店:槇原敬之さんのほぼ全曲レビューという名のただ語りたいだけ-なブログをを相方さんとしております♪

06.月の石

どこかで飾られてある
月の石の事を思った

1970年に大阪万博の目玉の一つだったアメリカ館の月の石。

同じものかは分かりませんでしたが、東京にある国立科学博物館北九州市いのちのたび博物館でみれるようです。

このアルバムはマッキーの生い立ちに絡んだアルバムと当時のインタビューで答えていたので、大阪万博で展示された月の石へ想いを馳せているのだと思っていいですよね?

ファンの間ではマッキースポットとして認識されている(と思っている)万博公園ですが、「FM802 MEET THE WORLD BEAT 2010」に特別ゲストで出演した際に、『今日も実家からチャリで着ました』とか、『高校の頃によく歩いてきた』とかトークされていたようです。流石に今日チャリで来たは冗談なんでしょうけど、高校時代はハイキング気分で来てたりしたのかなぁ。
イベント行ってた方も、マッキーと同級生だったかたも羨まし過ぎです。


この曲で言いたい事は、

モノにはあるべき場所がある

このコンセプトはうたたねに通じるところがあります。

しかし使われているワードはうたたねと違ってハードです。

人間のやる事は
いつも勝手で乱暴すぎる

ギャップといいますか、メロディラインが優しいだけに余計に強い言葉に聞こえます。

月にウサギが居なかったんじゃない
乱暴な心におびえて隠れていただけ

ここ好きですねぇ。
日本人にとっては、月といえばウサギ。
うん、大人だし、月にうさぎがいないのはわかっちゃいる。分かっちゃいるけど、それでもこういう発想ができるのってピュアだなぁと思います。

それにウサギが怯えているのが乱暴な「行動」じゃなくて、乱暴な「心」なんですよ。

人間はやる事が乱暴とあったのに。

心の方が文字数のおさまりがいいからかな?とも思えますが、行動で無くても所業とか、行動を表す他の文字をあてがう事もできるのに、心としているところに想いが込められているのでは無いかと思います。

敵意に敏感なウサギは、人間がどれだけ心のありようを隠して優しそうに近づいてきても危機を察知するのかも知れませんね。

いつか返してあげたいな
輝けるべきその場所へ

という想いを最後に告げて締め括られています。


太陽エネルギーの反射率でいうと、地球は0.31。一方、月は?というと、たった0.07しか無いそうです。
つまりは月よりも地球の方がより明るく輝いているんですよね。

この曲の中ではどちらがより輝いているかはあまり問題ではなく"輝くべき場所"から人間の勝手で持ってこられたのだから本来の場所に戻してそこでまた輝いて欲しいという事なんでしょう。

地球の方がより輝いているとはいえ、建物の中に収められていては輝けるものも輝けない。

けれど、もし月の石が地球で輝けるなら、それはそれでアリなのでは無いかと思うようになりました。

うたたねを聴くと、自然はあるがままが美しいんだと思うんですが、月の石を聴くとどんな状況でも輝ける可能性があると、相反する思いが出てきます。これはどちらもきっと正しい。


あるみちゃんが書いてくれたNakedのレビューでこの頃少しマッキーから離れたとありましたが、私の場合はこのアルバムの後という方がより正確かも知れません。

倦怠期だったと言ってるんですけど、反抗期の側面があった気がします。

マッキーの曲を全部丸呑みするのではなく、本当に正しいのか?そう考える"隙"を敢えて与えてくれて、成長を促してくれていた・・・とは良いように取りすぎかな。

この曲には初期作品が好きな方にとっても情景が浮かぶ歌詞がありまして、

街灯のない頃は
月明かりで夜を歩いた
大切な人の一大事に
潜む獣も承知で
朝を待てず飛び出した

自分の経験とは重ならないけど、物語の中では時折りみられるシチュエーションで経験がなくても容易に想像ができます。

なんかこう、倦怠期や反抗期であっても、アンカーで繋がれている感じとでも言うんでしょうか。

『マッキーが心にいなかったんじゃない
忙しさにかまけてちょっと離れてただけ』

輝けるその場所へ

お後がよろしいようで。