TwinTowerTours (m)

ももた支店:槇原敬之さんのほぼ全曲レビューという名のただ語りたいだけ-なブログをを相方さんとしております♪

02. ミタテ

レビュー読まなくていいから、とにかく聴いて!という曲はたくさんありますが、ミタテも正にそんな曲。

めちゃいい曲。

ちゃんとレビュー書かないと!とプレッシャーに思えば思うほど・・・

おじさんが箒はく手を止めて
話しかけてきた

『お〜出か〜けで〜すか〜〜』
某黄色い着物を着たおじさんが脳内を駆け巡ります。

いかん。
レビュー進めないと(笑)


さてさて。この曲を一口でいうと、マッキーの代名詞とも言える、失恋曲です。

初期作品の頃なら「また?」と思われるでしょうが、ラブソング欠乏気味だったし、マッキーのラブソングは何曲でもおかわりしたい。
それに今までとは一味も二味も違うんですよ。

自分がいなくなっても
愛されるようにと
君が見立ててくれた
この心と歩いてる

ひとつ前のアルバム(ドンクロ)収録曲のSeason’s Greetingまでは失恋ソングに付き物の「未練」がたっぷりあったのが、この曲からは感じられません。

いや、未練はあるのかも知れないけど、メロディラインと同じく穏やかに回想する主人公からは、無理に前を向こうとか、相手の幸せをひたすら願うことで未練があるのを誤魔化そうという、そんなステージを達観した感じです。

5つの文字で「あたりまえ」は「ありがとう」に。
この曲で「ミレン」は「ミタテ」に昇華されたんだなと。

感じ方は人それぞれだけど、恋愛から青臭さが完全に抜けた、というのが個人的な感想です。


それに、妄想の余地が残されている曲が、結局のところ好きなんだなと。

毎度毎度の勝手に伏線と決めつけて勝手に回収するコーナー。
今回は『なぜ、曲名をカタカナにしたのか。』について考えを巡らせてみます。

一つはすでに上述した説。意味合いが全く違う3文字を比べることで精神的な成長を匂わしているのではないかということ。

もう一つは同じくなぜカタカナなんだろう?と思う「キミノイイトコロとの関係性を匂わせているんじゃないかという事。

キミノテノヒラもそうじゃない?って分かってはいるけど、アルバム収録曲ではないと言い訳して、ここではキミノイイトコロに注目してみます(笑)

歯に絹着せぬ物言いで
ずけずけと言う君に
むかついたりもしたけど
試す度意味がわかった

思いやりのあるアドバイスは有難いもので、主人公もむかつきながらも信頼があるんでしょう。試してみて、その意見が正しいってことを実感するいい関係ができていました。
だけど、幼過ぎて別れたという事は、積み重なったムカつきが爆発しちゃったんでしょうか。
(余談ですが、歯に絹着せぬの所の歌詞とリズムの組み合わせがサイコーに好きです)

一方、

君のいいところを真似して
君が笑ってくれたら
その時初めて打ち明けよう
教えたのは君だと
(キミノイイトコロ)

ミタテとは全く正反対。

相手の姿を見て何も言わずにいい関係が気づけるのは理想だけど、直して欲しいところは言わなきゃ伝わらない。相手を思うなら、遠慮の要らない関係性を築けている事が大事なんだと教えてくれているようです。

自分がいなくなっても
愛されるようにと
君が見立ててくれた
心と歩いていく

こう思えるような愛情を向けたれていた主人公は幸せ者だ・・・なんて事を思いながらよく歌詞を読むと、「手放した恋」とあるけど、恋人同士だったかは明記されていないんですよね。

例えば、仕事仲間に片想いしてて、その関係性を壊すのが怖くて伝えられずにいたら、異動や転職をしてしまったとか・・・そんなシチュエーションも想像できなくはない。

でもやっぱり、恋人との別れなのかな。
いずれにしても何年も連れ合った、気心の知れた相手との別れ。

「君」は自分がいなくなる事を予め想定していたかのようで、セツナサもたっぷりです。


そして、散っていく桜を掃除するおじさんがいる"日常の風景"と、"心情"の組み合わせは"槇原敬之らしい"

曲はバラードながらも三連符の効果か聴く人の心を掴むグルーヴィーさがたまりません。

アルバムの初っ端からこんな名曲を持ってくるとか・・・すでにノックアウト気味ですが、この後の曲たちも名曲揃いです。

ノリユキ・・・恐ろしい子

定番のこのセリフで本日は締めくくらせていただきます。