08. Going Home
土日祝はお休みしていますこのブログ。
そのせいで1日遅れましたが、
10月25日は槇原敬之さんのデビュー記念日でございます!
本来ならばもっと盛大に30周年をみんなでお祝いしたいところですが、状況が状況なので、皆さま各々お祝いされた様子がSNSに溢れていましたね♡ 我が家でもケーキを買ってみました。
文字にすると一口(ケーキがじゃないですよ?)ですが、本当にあんなこと、こんな事があった30年でした。
特にこの8ヶ月は一日千秋の思いで過ごしていて、千年は言い過ぎにしても体感的には3年くらい過ぎたように思います。
マッキーのご両親もお元気でお過ごしでしょうか。
子供のことで悩むのも親の特権のひとつではあるんでしょうが、子の立場からするとなるべく心配かけずにいたいですね。
そんな私は両親に悩みを相談した事がなくて(相談するほどの悩みが無かったとも言う)、Going Home のように
たまには帰ろうか あの町に
と、故郷や親を心の拠り所と思っている関係性を羨ましくも思ったりします。
雑踏の中、遠慮がちに響く口笛のサウンドは実にノスタルジックで、続くピアノの音色が早くも涙を誘います。間奏がジャズ風だったりとか、歌い方までが懐かしむようで、マッキーの曲の中でもひときわ完成度の高い作品です(個人の感想です)。
それだけに、聴くたびに胸も痛ければ、耳も痛い・・・。
用事が無いと電話もしない薄情な娘でごめんなさいとふるさとにおじぎしてみたり。
Design & Reason tour のMCでマッキーがよく◯ンキーの方とか「産んでくれって頼んだわけじゃないよ」とか言うけど、実は神様にあの夫婦から生まれたいと頼んでいるんだってこと話していましたね。これだけ書くと宗教チックと誤解されそうですが、そう言う気持ちで生きた方が意味のある人生を送れるんだってことですよね。
第二章に入ってから、少しずつライフソングの割合が色濃くなって来ますが、Going Home も人生を歌った曲と理解しています。
自分でも気がつかない
ちいさな苛立ちを積み重ね
くたびれたぼくにキンモクセイが
遠くを見ろと教える
マッキーの歌詞で好きな表現myベスト30に入るくらい好きな歌詞です。
ここでのポイントは2つ。
1つ目は「僕」じゃなくて「ぼく」が使われている点です。
他の箇所では漢字が使われてるのにここだけ平仮名。
花火もススキも僕より背が高かった
むしろこっちの「僕」の方が平仮名じゃ無い?と思うのは私が凡人故の発想です。
平仮名は幼さの印象を持っています。
おそらくですが体格とか、見た目は大人(=僕)に成長したものの、精神的にはまだ未熟(=ぼく)だと言う自己評価なのではないでしょうか。
2点目は「遠くを見ろ」と教える花にキンモクセイを選んでいること。
風に乗った花の香りが、足下を見て歩いてた主人公に届いて前をむかせたんでしょう。
ストレートな表現ではなく、日常のふとした時に出会う景色から「あっ、そういうことか」と歌詞の意味に気づくよう仕掛けをしているところはマッキー師匠の巧みの技ならではです。
香りの強い花といえば、前半部分に使われた梅がありますが、歌詞の季節は梅の葉も落ちた秋口。
そして香りの代表格である三代芳香花のキンモクセイ、ジンチョウゲ、クチナシの中でこの季節に花を咲かせるのはキンモクセイだけ。
季節感を損なうことなく、表現に取り入れているところは見事です。
そろそろ帰省をいつにするか考えなきゃなぁ。